あの時、図書館で本を読んでいたあの子たち

とにかく遠くへ行きたいと、逃げるように入学した大学。

都会の喧騒から遠く遠く離れた場所。私の望んでた空間。

何もかも新鮮で、勉強が難しいとか卒業が難しいとか言われてたけど

当時、必死だった私にはなんも関係ない。

 

田舎で、寮に住んだりして、夜中にみんなで抜け出して近くのコンビニまで散歩したり、チャリを片道2時間もこいで海に行ったり。時には木登りをしたり。

狭苦しい東京での、常識に縛られた高校生活と、対照的だった。

 

これで死ななくて済む、生きててよかった、と、思った。

 

そして、大学2年、一年留学をかけての試験。

なんにも勉強のことを考えずにいた私は、周りの実力に圧倒された。

 

ここの学生、半端じゃない。みんなすっごく良い人が多くて、みんなのおかげ大学時代最高に楽しかったし支えられたけど、ブログなのであえて言わせてもらうと、

 

これまで出会ったことのない、いわゆる気の強い「エリート」がそれはもうたくさんいた。(笑)

 

小学校のとき、前にも書いたように私は友達とリカちゃん人形の髪切ったりして最高の喜びを感じてた部類の人間で、

その傍らで図書館でいつも本を読んでいたクラスメイトのことを、正直「暗い」と馬鹿にしていた。

 

この大学は、図書館でいつも本をよんだり、中学受験に向けて放課後も塾通いだった人たちの集まりだということに 留学試験の時、初めて気付かされた。(笑)

まあこの気づきが、留学、就活と、時を重ねるにつれてどんどん濃くなっていったんだけどね。

 

ある意味、「小学生のあの時図書館で本読んでた子たちは、こういう面白い考え方をしたり、そんなことで悩んでたりするんだ」みたいなことにも気づけて、視野を広げられた。その意味でも私はこの大学に来たことは人生の最大の財産だと思う。

彼らと仲良くすること自体が遠い世界に飛び込んでいったような感覚だった。

もっと遠くへ。

 

 

簡単に言うと、海外旅行に度ハマリした。海外に行くときの、わくわく、そして何よりも、

 

 

日本を離れる瞬間の解放感。

これを体験したくってしたくって、大学生になったら、たくさん海外旅行してやる、いやもっというと、一年間の留学という正当っぽい理由つけて、長期間、この狭苦しい東京を、離れてやる!!!

 

大学受験どこ受けるか考えてた時、もちろん国公立の上位校とかそういうのは狙わなかった。

受けても無駄だと思ったから。どうせ落ちてまた辛い思いするだけ、しかも別にいきたくない。

私が行きたいのは、どこでもいい、とにかく、

東京じゃない、狭苦しくない場所。

もっと自由に生きたい。行きたい場所には、所かまわず行きたい。

 

そうして出会ったのが、今の大学だ。

これから書くことや私のカスさであんまり評判下げたりできないから名前は出せないけど、

めちゃくちゃ入るのが難しいと言われていた学校だった。

 

 入るのが難しいからとか、偏差値が高いから、っていう事実は、そこを目指す理由にはもうならなかった。

 

ただその大学が 東京じゃない場所にあること。留学できるチャンスがあること。

正直に言うと、当時の私は、もう死んでもいいと思っていた。

このストレス社会から逃げなきゃ、と、心が危険信号を送っていたのかもしれない。

とにかく広い世界に行きたかった。

私はその大学に行くことを目標に、勉強した。

偏差値があがったとかさがったとか、もうどうでもいい。

今、私がいる場所を、とにかく離れることだけ、それだけを考えた。

 

そして、第一志望だったその国公立の大学に、合格した。

 

 

飛行機から見下ろした、小さな東京

高校では、もう勉強は頑張らない!遊びまくって、また元の私に戻るんだ!

すっごい元気で入学した高校。

本当に何もかもが上手くいかなかった。

 

まず、入部した軽音楽部で先輩にいじめられた。

クラスメイトとのねちねちした友人関係にも、毎日苦しめられていた。

思春期独特の感情もあいまって、人間不信だった。自分の何もかもが嫌いになって、毎日毎日ベッドで泣いた。知恵袋で同じ境遇の人を探すことが、唯一の心の救い、というくらいには、孤独だった。だって軽音でいじめられてること友達に言ったって、「気にしすぎだよ」ってセリフで一掃されるんだもん。

 

憂鬱な気持ちで迎えた高校一年の夏休み、私は家族で初めて海外旅行に行くことになった。目的地はヨーロッパ。想像もできないような遠くの世界。

わくわく8割不安2割で出発して15分後、飛行機の窓から見おろした東京の景色。

 

小さな小さな、狭苦しい場所。私はこれから、ここを一週間離れて遠くの国へ行く。

 

そう思った瞬間、気持ちがふっと軽くなった。

きゅんとした。

そのときだけ、私はもう何にも縛られてないんだ、いやな人間関係にも、偏差値との闘いにも、何にも。

 

たった一週間の海外旅行。

この旅行が、私のその先の進路を、大きく変えることになった。

 

あっさりとゲーム終了

必死で受験勉強した中学三年生。

「いかに成績悪いか自慢大会」にはもう参加しなくなっていた。

 

親や友達に、なんでそんな頑張るの????って超純粋に問われたこともある。

 

理由はただ一つ、順位とか偏差値とか、そういうのを上げるのが楽しい。。

偏差値の高い高校に入学するってなんかかっこよくね?それだけ。

あとは、制服がかわいいとこ適当に選んで、県内で3番目に偏差値の高い公立高校と、その滑り止めの私立高校を、受験した。

 

親に、「あんたそんな頑張って難しいとこ入っても入った後勉強さらに大変になるんだよお~?」とからかわれたこともある。

うん、それ確かにいやかも。(笑)

 

そういう生半可な気持ちだったからかな。自分なりに努力したし、模試の評価もAやB、塾の先生も絶対行けるって言ってくれたのに

 

第一志望の公立高校に、合格、できなかった。

 

いや、別に、勉強がしたいとか その高校で絶対したいことがあるとか そーゆうんじゃなくて

ただひたすら 自分の目標を達成できなかったこと、努力が実らなかったことに対して、悔しくて悔しくて泣いた。

 

多分、歩んできたプロセスや考えてること、家庭環境も全然違うだろうに、

 

気づいたら、

不合格だった他の受験生と同じように、悔し涙を流していた。

 

そして、本望ではなかったけれど まあ制服はかわいいしと 気を取り直して、滑り止めの私立高校に入学した。

このときは 

もう、大学受験では高望みしない。辛い思いするだけだし、別にやりたいこともないし。等身大のところへ行こう、と、決めていた。

 

つまり、「もう偏差値を上げるゲームには参加しない、頑張らない」って

心に誓った。

たぬきちのデパート

別に、テストがあってもどうせ「やばさ自慢」するだけだし、

要領よく勉強して点数を上げる必要もなく、

何のプレッシャーも感じずにひたすら「勉強」した。

リプトンのミルクティーが美味しかった。

 

次の、定期テストで。

学年125人中123位だった私の順位は、58位まで上がった。

その時の感覚は、

まるで動物の森+(任天堂ゲームキューブ)でたぬきちの商店が進化してたぬきちデパートになったような。

もっとわかりやすく言えば、バナナの皮で滑りつつもマリオカートで一位になったときのような。(わかりにくいか笑)

正直気持ちよかった。順位が上がるって、なんて、楽しいんだ。

いわばゲーム感覚だった。

 

そのときから、リプトンのミルクティーはしばらく忘れ去られ、

「順位を上げること」が私の原動力になって、ある程度しっかり、勉強するようになった。

 

次の定期テスト、18位。鳥肌が立った。

 

その時から、友達が通っているという理由だけで私も通っていた塾の先生に進められ、県内で3番目に偏差値の高い公立高校を目指すようになった。

 

中学三年生、気が付くと私は、自分でも想像がつかないほど「いわゆる受験生」になっていた。

 

ウォークマンとミルクティー

大阪に生まれて、東京に引っ越してきて、

特に親から勉強しろと強制されるわけでもないから

小学校時代は友達と りかちゃん人形の髪を切ったり 段ボールで着け爪つくって指先に貼ったり っていうごく普通の生活を送っていた。

 

私の運命を変えたのは、中学生のときだと思う。

一年生、入学したての頃は、友達と面白可笑しく「いかにテストの成績が悪かったか」の自慢で盛り上がる休み時間。

勉強って何すればいいの???(笑)って感じだったけど

 

あるとき私は、見てしまった。

中学1年生にして、ウォークマンで音楽を聴きながら、リプトンのミルクティを飲みながら、ノートや教科書をペラペラ開いて「勉強している」友達の姿を。

 

・・・・「勉強って、なんてかっこいいんだ!」

中学1年生にして、その感情はいわば、スタバでの勉強に憧れる大学2年生のようだった。

今まで勉強ってもっと、頭にはちまきまいたり、分厚い教科書が積み重なった机でがりがりするものだと思ってた。

 

勉強、やってみよう!

そして、私はお父さんの部屋から掘り出したイヤホンと

リプトンのミルクティを用意して

 

「勉強」に励み始めた。

自分は、神様なのか????

 

まず最初に、近況についてざっくりとご紹介します。

 

私は、世間的にいうと「おおーすげえ!」と言われるような大学に在籍してます。

一年間、交換留学もしました。

 

そして今その経歴うんぬんを必死にアピールしつつ就活中です。

 

しかしすでに、、、15社以上から「お祈り」されました!

多分、私は神様なのだと思います。

 

志望動機、ポイントだけノートに書く!

自己PRも同様。自分の経験も含めて、オリジナリティを全面に押し出していく!

失敗したらなぜ失敗したのか反省し、次の面接に活かす!!

 

という、マニュアル通りの作業と、多分ほとんどの人が経験するマニュアル通りの挫折。

 

辛いよね。じゃあこの辛い努力を乗り越えて、待っているものは・・・?

収入を得るため、出世するため、今まで以上の努力!

 

結婚して子供産んで、育児と仕事の両立のためまた努力!!

その先に待っているものは・・・? 

 

死。

 

そして神様になる。

 

あれ・・・?

私は気づいた。

義務教育終わってるんだから、

みんながしてるからってそんな義務みたいに努力しなくても

好きなことしてればいいんじゃね?